春秋から考察 クマについて
1カ月ほど前、九州を旅した。福岡から阿蘇、霧島と回って薩摩半島へ。東京から訪れたと話すと、先々で言われた。「こっちはクマがいなくて安心でしょう」。よく知られているが、九州にクマは生息していないとされる。環境省が2012年に「絶滅」を宣言した。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO92286050R31C25A0MM8000
今朝の春秋コラムを読んで・・精神的には心の深くに入り込んでいる・・という一文が気になり・・・・ふと、いにしえからクマっていたよなと、江戸時代なんて参勤交代もあったわけだから、山の中を歩いたりしてたよなとか、でも、日本昔話にクマに食べられる話や恐怖を感じる話ってあったっけ?百人一首や和歌、小説、絵画や浮世絵などでも見たことないような・・・
あっ、金太郎の歌とか クマにまたがりお馬のけいこ とか節句の人形とか、男の子の強さを願う象徴だったような・・昭和の時かな北海道のお土産に鮭を獲るクマの置物とか・・・日常的に良い描かれ方な気がする・・・
そういう時は、ChatGPTに調べてもらう。
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ざっくり結論から言うと、日本の「古典の表舞台」にはクマはあまり出てきませんが、北方のアイヌ社会と東北山間部のマタギ文化では、クマは強い宗教性と生活実利を帯びていました。主要な一次・準一次情報は下に挙げます。
ざっくり整理(地域別)
① 北海道(アイヌ)—“神(カムイ)としてのヒグマ”
ヒグマは「熊の神(キムンカムイ)」として扱われ、共同体で子グマを育てて丁重に“神の国へ送り返す”儀礼(イヨマンテ/イオマンテ)が行われました。熊の頭骨を祀る・毛皮や肉を神からの贈り物として受け取る等の実践が記録されています。宗教観と生活資源(肉・皮)の両面が結びついています。
② 東北山間部(マタギ)—“山の神と約束して狩る”
近世(江戸後期)に市場経済の発展とともに、マタギ集団が毛皮・角・肉、そして薬用の熊胆(ゆうたん)を供給する狩猟民として確立。厳格な掟(禁忌)や「山の神(やまのかみ)」信仰に支えられ、狩猟は儀礼性を帯びていました。
③ 本州中部〜西日本・宮廷文化圏—“文学の表面に出にくい存在”
万葉・王朝和歌の主要モチーフは季節の花鳥風月や恋で、山の猛獣は題材になりにくい(山道を避ける貴族的都城文化の視野・表現規範)。熊は文献上ほとんど目立たず、実際の遭遇・伝承は山村の口承へ偏在しました。江戸の参勤交代も整備された街道(東海道・中山道)が中心で、深山の熊の生息域とは重なりにくい、という事情もあります(和歌資料の概説や研究を参照)。
なぜ「昔話や和歌に“怖い熊”が少ないのか」
社会の分業・文化の分離:宮廷/都市の筆文化と、山村の口承文化が別回路。前者の典籍に熊が出にくい。
交通経路の違い:主要街道の旅=野生熊のコア生息地を大きく外れる。
宗教的な位置づけ:アイヌやマタギでは畏怖より畏敬と折り合い(儀礼・禁忌)として処理され、単純な「怪物退治譚」になりにくい。
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そっか、クマの存在そのものは、森の奥地に住む宗教的な存在だったんだと。近代において、日本の人口が増え開発が進んだことで、森が減っていった。その時にクマの駆逐もされたものの・・・しかし、高齢化・過疎化が進むことでクマの行動範囲が広がってきたということなのかしら。歴史を考えるとクマと人間の共生に戻れるといいのだろうが、開発を進めてきた今、クマの存在が恐怖である今、なかなかすぐに結論が出ない問題ではあるよなと感じる。


