定食と平和

今日も600円台の定食を求めて、街をさまよっている。

安いベトナム料理屋、穴場のタイ飯、昼だけやってる無名の中華。かつて600円台で定食を出していた店が、ひとつ、またひとつと消えていく。跡地にはだいたいコンビニが建つ。コンビニは便利だがそのコンビニの弁当ですら、なんとなく小さくなっていないか。量が減り、種類が減り、棚の前で「まあこれでいいか」と手を伸ばす自分がいる。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD232C40T20C26A2000000

文中

かつてそこに豊かさがあったという事実を伝えていくべきなのだ。ボリューミーなコンビニ弁当。変なおじさんが経営していた安い定食屋。500円でおつりがきた日替わり定食――それらは単なるノスタルジーではなく、「そういう世界もあった」という想像力の根拠になる。想像力こそが抵抗の最初の形だ。失われた選択肢の輪郭を言葉にして残すこと。それこそが平和への第一歩なのだ。たぶん。

そっか・・・いかに安く提供されることが大事だったかという時代、マックのハンバーガーは100円切ってたし、吉野家の牛丼がいかに安くて早くておいしいか話題になっていたし、100均ショップの商品には感動したし、サンマも98円で売っていたよな・・・20年くらい前の話だっけ?こういう時代が飽食で贅沢な時代だったのだろうか・・・この間に、世界の資本主義は成長しつづけていたことが、今わかったというか気付いた・・・バブルが崩壊し、その余波で、20年前はデフレだったけど、それでも、まだ円高水準だったし、バブルまでに蓄えた経済成長の余力をデフレマインドで省エネモードで消費続けていたのかもしれないという・・・仮説もありかしら?

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