パンダロス、何を失ったのか 立ち止まることも前へ進む準備になる
1月21日、東京の上野動物園を訪ねた。双子のパンダ、シャオシャオとレイレイを見るためである。
中国への返還を控え、観覧は倍率約6倍の抽選だったが、運よく当選した。係員に促され、1分ごとに観察エリアを少しずつ進んでいく。多くの人がスマホやカメラを構え、動く姿を追っていた。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD246E80U6A320C2000000
文中、
スターや舞台に対する「推し」の構造と似ている。ファンの大半が女性である点もパンダと宝塚で重なる。パンダは個人の感情を超え、人と社会を結ぶ役割を果たしていた。多くのパンダファンに共通するのは、かわいい存在を失った悲しみだけではない。育つ喜び、交わした言葉、誰かと訪れた記憶。さまざまな思いが積み重なり、癒やされていた時間が途切れたとき、心に空白が生まれる。日本の大半のファンにとってパンダは政治や外交と切り離された意識のなかにある。外交資源と位置づける中国との認識のずれは埋まらない。日中のあいだに介在していた「癒やし」が消えたのは残念な気がする。出会いには、やがて別れが訪れる。失ってから、その存在の重さに気づく。去った後の静けさは、自分にとって大切なものは何だったのかを問い返している。
パンダを通して、築いてきた自分の人生のスイートメモリー。でも、パンダそのものが、どうしても外交とお金が絡む国際政治のカードそのもの、押し活するには現実的でなかったのかも。最近、千葉にある市川市動物園のパンチくんの話題が、SNSだけでなく新聞等でも取り上げられている。動物の可愛さが押し活の一環ならパンチくんというニュースター。アイドルの押し活も、Aを卒業し、Bに変わることもあるし。
失ってから、その存在の重さに気づく。去った後の静けさは、自分にとって大切なものは何だったのか・・・それは自分自身のスィートメモリーってだけじゃないかしら。この記事、面白かったのですが、でも、自分のペットじゃないし、動物園にいたパンダ、そのパンダがいなくなったからって、そこまで考える人ってそんなにいるのかな・・・それこそ、朝井リョウさんのインザメガチャージの世界なのかも。


